朝ドラ『風、薫る』モデル・大関和の生涯|離婚・息子・孫・墓・女子学院まで「明治のナイチンゲール」の全て

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朝ドラ『風、薫る』ヒロイン・一ノ瀬りんのモデルとなった大関和(おおぜき・ちか)は、黒羽藩国家老の娘として生まれ、結婚・離婚を経て明治の看護の道を切り拓いた実在の女性です。「明治のナイチンゲール」と呼ばれた彼女の人生は、ドラマでは描ききれない出来事の連続でした。この記事では、大関和の生涯を結婚・離婚・桜井女学校・帝大病院・大関看護婦会設立・息子・孫・墓・女子学院とのゆかりまで、史実をもとに整理します。

大関和の人生で最も驚くのは、19歳で結婚して一度は家庭に入った後、離婚して28歳で看護の道に入ったこと。明治10年代の女性としては異例の再出発です。朝ドラのりんも離婚→東京行きという転換点を通過しましたが、実際の和の道のりは、もっと紆余曲折に満ちていました。

目次

大関和の基本情報——黒羽藩家老の娘として誕生

大関和(おおぜき・ちか)は、1858年5月23日(安政5年4月11日)、下野国黒羽藩(現在の栃木県大田原市黒羽地区)に生まれました。父は黒羽藩の国家老・大関増虎(弾右衛門)、母はテツ。和は次女として生家で育ちます。

項目 内容
生年月日 1858年5月23日(安政5年4月11日)
没年月日 1932年5月22日(昭和7年)満73歳
出身 下野国黒羽藩(現・栃木県大田原市黒羽地区)
大関増虎(弾右衛門)/黒羽藩国家老
テツ
兄弟 次女として生まれる
職業 看護師(のち大関看護婦会創設者)
異名 「明治のナイチンゲール」

大関家は黒羽藩のなかでも上級武士の家柄で、国家老という要職は藩主に次ぐ地位。和は生家の経済的な不安とは無縁のまま、武家の娘として教育を受けて育ちました。朝ドラ『風、薫る』の一ノ瀬りんも「元家老の家に生まれた」という設定で、この史実を踏まえたキャラクター設計になっています。

19歳で結婚、そして離婚——シングルマザーとしての再出発

1876年(明治9年)、和は19歳で黒羽藩の次席家老・渡辺家の次男、渡辺福之進(のちの豊綱)と結婚します。家格のつり合う政略的な結婚でしたが、その後夫婦は離婚にいたり、和は東京の実家に戻ることになります。離婚の具体的な経緯は史料ごとに記述が分かれますが、この時点で和は子どもを抱えた「出戻り」の女性という、明治初期の武家の娘としては異例の立場に置かれました。

朝ドラ『風、薫る』でも、ヒロイン・りんが奥田家に嫁いで一度離婚し、東京の兄のもとへ向かうという展開が描かれました。これは史実の和の軌跡を強く反映させた脚本になっています。離婚が決して「敗北」ではなく「次の道への扉」として描かれているのは、和自身の人生そのものがそうだったからです。

看護の道へ——桜井女学校第一期生として

1886年(明治19年)11月、和は28歳で桜井女学校附属看護婦養成所に入学します。これは日本で最初に設立された看護婦養成所の一つで、和はその第一期生6人のうちの一人でした。同期には鈴木雅(すずき・まさ)——朝ドラで大家直美(上坂樹里)のモデルになった人物もいました。

年齢 出来事
1876年(明治9年) 19歳 渡辺福之進と結婚
(詳細年不明) 20代前半 離婚、東京の実家へ
1886年(明治19年)11月 28歳 桜井女学校附属看護婦養成所・第一期生として入学
1888年〜(明治21年〜) 30歳〜 帝国大学医科大学附属第一医院・外科看護婦取締役
1890年(明治23年) 32歳 新潟県・高田女学校の伝道師兼看護婦に
1909年(明治42年)11月 51歳 神田猿楽町に「大関看護婦会」設立
1932年(昭和7年)5月22日 73歳 脳溢血のため大関看護婦会において死去

当時、看護婦は「命を売って金もうけする卑しい人間」と言われた時代でした。武家の娘が就く仕事ではなく、なぜ和がこの道を選んだのかについては、史料でも「離婚後、自立の道を探すうちに看護に行き着いた」とされています。朝ドラでは、りんが東京で様々な仕事に出会いながら看護にたどり着く過程が描かれる見通しで、和自身の試行錯誤が反映される展開になりそうです。

帝大病院と高田女学校——初期キャリアの軌跡

養成所卒業後、和は帝国大学医科大学附属第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)で外科の看護婦取締役(看護婦長)に就任しました。設立間もない近代医学の最前線で、看護という仕事を「職業」として確立する役割を担います。

1890年(明治23年)には新潟県上越の高田女学校(現在の高田北城高等学校)に赴き、伝道師兼看護婦として勤務。ここでキリスト教と看護の両面で地域社会に関わることになります。「看護」と「宗教」が近い距離で扱われていた時代背景を考えると、和の活動はまさに「近代看護の黎明期」を象徴するものでした。

1909年、神田猿楽町に「大関看護婦会」設立

1909年(明治42年)11月、和は51歳で神田猿楽町(現・東京都千代田区)に「大関看護婦会」を開設します。これは優良な看護婦の養成と、派出看護(患者の家に出向く看護)の業務を担う団体で、当時の民間看護ビジネスの先駆けでした。

この時期の和は、単なる看護師ではなく「看護師を育て、看護の仕事を世に送り出す経営者」としての役割を担っていました。明治の女性で、こうした事業体を立ち上げるのは極めて稀なケースです。朝ドラ『風、薫る』の終盤では、この大関看護婦会設立に相当するエピソードが描かれる可能性が高く、りんの物語の到達点の一つになりそうです。

大関和の家族——息子・六郎と孫・一郎

大関和の家族関係については、息子として大関六郎(ろくろう)、孫として大関一郎(いちろう)の名前が史料に登場します。結婚した渡辺福之進との間に生まれた子どもは、その後「大関」の姓で生きていくことになり、和の事業と名前を受け継いでいきました。

続柄 氏名 備考
大関増虎(弾右衛門) 黒羽藩国家老
テツ
元夫 渡辺福之進(豊綱) 黒羽藩次席家老・渡辺家の次男
息子 大関六郎
大関一郎

子孫については、大関一郎の世代まで名前が伝わっていますが、現代の直系子孫の詳細は公的資料には残されていません。朝ドラのモデルになったことで、改めて家系を辿る研究が進んでいくかもしれません。

女子学院との繋がり——桜井女学校の系譜

大関和が学んだ桜井女学校は、のちに女子学院(現・女子学院中学校・高等学校)へと受け継がれました。女子学院は和を「卒業生の誇り」として取り上げており、公式サイトには「大関ちかの歩みをたどって 〜日本のナイチンゲールと呼ばれて〜」という特設ページが設けられています。

桜井女学校は明治時代のキリスト教系女子教育機関で、和が学んだ看護婦養成所はその附属組織でした。日本の看護教育と女子教育が「セット」で近代化した時代を象徴する系譜で、和はその最初期の卒業生として、現在の女子学院のルーツに連なる存在として位置づけられています。

大関和の墓はどこにあるか

和は1932年5月22日、73歳のとき、東京府東京市本郷区本郷弓町の大関看護婦会において脳溢血で死去しました。墓所の正確な位置については公的資料での明示的な記述が限定的ですが、出身地である栃木県大田原市黒羽地区との縁が強い人物で、地元でも顕彰の対象になっています。大田原市では『風、薫る』放送を機に、和をモチーフとした観光ルート整備や特設展示などの動きが広がっています。

墓所を訪れての巡礼というより、出身地の資料館・記念館を訪ねることで和の足跡をたどれる構成になっています。興味を持たれた方は、大田原市公式の情報を確認するとより具体的な現地情報を得られます。

朝ドラ『風、薫る』一ノ瀬りんと大関和の違い

朝ドラのヒロイン・一ノ瀬りんは、大関和をモチーフに脚色されたキャラクターです。史実との主な違いを整理しておきます。

項目 一ノ瀬りん(ドラマ) 大関和(史実)
出身 栃木・那須地域の架空の町 下野国黒羽藩(現・栃木県大田原市黒羽地区)
家柄 元家老の家 黒羽藩国家老の家
結婚 奥田家に嫁入り 1876年、渡辺福之進と結婚
離婚 「私、奥様やめる」で奥田家を出る 離婚後に東京の実家へ
看護との出会い 東京で試行錯誤(未放送) 1886年、28歳で桜井女学校入学
事業 (今後描かれる見通し) 1909年、大関看護婦会設立

ドラマは史実の大筋を踏襲しつつ、視聴者が感情移入しやすい人物関係や台詞を追加する形で再構成されています。ドラマでのりんの決断は、和が実際に通過したであろう心の揺れを、朝ドラの時間枠に合わせて圧縮して描いているといえます。

まとめ——「明治のナイチンゲール」の生涯が朝ドラになった理由

大関和は、黒羽藩家老の娘として生まれながら、結婚・離婚・28歳での看護師転身・帝大病院勤務・大関看護婦会設立という、明治の女性としては極めて異例の道を歩んだ人物です。彼女が「明治のナイチンゲール」と呼ばれるのは、単に看護師として優秀だったからではなく、看護を「賤業」から「専門職」へと位置づけ直した張本人だったからです。

朝ドラ『風、薫る』が2人の実在人物(大関和・鈴木雅)をモデルに「血縁のないWヒロイン」という構造を選んだ理由も、和一人の人生では描ききれない「看護師という職業の誕生」を2人の視点から立体的に描くためだと読めます。

関連情報:朝ドラ『風、薫る』モデルは大関和と鈴木雅|2人の実在看護師と史実との違い全話あらすじまとめ(母艦記事)第8回「私、奥様やめる」の詳細、タイトルの由来は 『風、薫る』タイトルの意味と放送スケジュール も併せてどうぞ。

※出典:Wikipedia「大関和」、女子学院公式「大関ちかの歩みをたどって」、大田原市公式、日経BOOKプラス、kaniikura.com、asadora-tsugi.com。史実情報は複数ソースの交差照会により整理しています。

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この記事を書いた人

ドラマを「観る」だけでなく「読み解く」ことに10年以上取り組んできた、ドラマ考察ライター。年間100作品以上を視聴し、脚本構造・キャラクター心理・演出技法・原作比較・社会的文脈まで含めて分析する。「事実→構造→意味」の順で積み上げる考察を信条にしており、個人の感想ではなく一次情報に基づく分析を大切にしている。サスペンス・ヒューマンドラマ・大河・朝ドラ などジャンル不問。

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